胸にひそめた、私的もののあはれ等。
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先の東北関東大地震で、私の周囲でも”音楽の立ち位置”がさまざまに語られた。

ある人は、”こういう時こそ音楽だ”と鼓舞し、
ある人は、”こういう時に何を悠長な。”といった具合に。

ツイッターのタイムライン(たしか東京FMで上杉隆がパーソナリティを務めたことに関してのRT)上では、
アンケートをとってみたら、被災に遭われた方が、3番目に欲しているものが、音楽であった。なのだとか。

音楽業界に居る友人は、
「こういう時にこそ音楽があると、こういう時に、恥じらいもなく言ってのける上司に、嫌悪を感じた。ビートたけしもTVでおんなじこと言ってたよ。」と言って居た。


音楽ってどういう立ち位置なんでしょう。 こういうとき、自体の位置も気になる。


個人的には、そういう時、には、やっぱり音楽を聴きたい。
けれど、それを他者に対し声高に主張することには、抵抗がある。なぜだろう。


ということで、頭の整理をしてみる。

音楽はまず、聴くものである。


それから、感じるものがあり、

ある人は、踊り、ある人は、涙をながし、ある人は眠る。 そういったカタチで作用する。

で、有用については、商売につかう人もあり、義捐金の資金をあつめるために使われる。(創られる、とも)


リスナーとしては、気晴らしに聴く、ストレス解消に聴く、踊るために聴く、元気がでるから聴く、さみしいから聴く。

とあるファッションに属したくて聴く。とある思想に共感して聴く。 仕事上聴く。

現実を克服するために聴く。 現実逃避のために聴く。


生産された、形のない音の波形が、これほどまでに人に影響をもたらすってのは、
思えばすごい。

ただ、これほど影響が大きいということは、

「ある種の影響を受けている自分」が、自覚できるかどうかが、引っ掛かりだ。

なるほど、これだな。

つまり、そのひとが、「ある種の思想に染まっていることに無自覚である」、と思しき場合、
抵抗感を禁じえないということか。

”こういう時こそ音楽だ!”といっている人の、人となりによって、
無意識に、好悪を分けてしまうのだろう。



いや、違う!

おそらく、(まぁ上記含めて)、根本的に、 その人のことが「嫌い!」だからだろう。w

と、円満に帰結させたい。  音楽に罪はない。 


思えば、”こんな時こそお題目だ!”といってる友人もいるが、
この彼の場合どうしても、憎めない。どちらかというと好きだ。私お題目は唱えないが。



それか、自分が”こういう時にこそ音楽だ!”と言いたいのに、臆面もなくさっさと言われてしまうことへの、
嫉妬? 似た者同士の反目。それもあるだろうな。 

おかしなことですよね。

だって、 ”軽々に口にできるアナタは浅はかだよ” と言えるということは、

”自分があなたより深く音楽たるもの、を知ってるのに” というような上位の感じだもんね。


あぁぁ、これも嫌だ・・。

つまるところ、やっぱりその相手が嫌いだと、だだをこねたくなる、ということで。



円満解決。




(ではないよな)















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【2011/03/29 02:46】 | 音楽のこと
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