胸にひそめた、私的もののあはれ等。
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プロット 3


大義は我らに有り、などとは、最早言うべくもない時代。武種は静かに目を閉じ、嘆息する。

武士の面目は何処へいったのか。過去に散った馬場、土橋、高木など、あれ程の役者が揃いながら、結局は平野の治安を乱す隆信が勝った。いや、まだそう決まったわけではない。屈強、我ら城原衆。徹底して抗戦すれば、どうにか道も開けよう。そう家老の執行には主張したが、最後まで頷かなかった。座を正し、静かに平伏して、こう言った。

「もはや、無益でございます。不毛でございます。大友様すら負け申した。我々はすでに疲弊し多くの臣民を失い申した。主家、少弐殿すらも、でございます。」

そう諌められると、ぐうの音も、出なかった。降参。得たものは、隆信の次男。養子にして、江上の家を継ぐことになる若者だ。第一、顔が隆信に似ている。剛情も似ている。気に食わない。当初は冷淡に接したものだが、この若者、なかなかに賢い。そして武勇に優れ、豪胆である。次第に、この者こそ江上一門を率いて立つ器であると思うに至った。そこである夜、息子を呼び出し、己の腹蔵を包み隠さず話した。そなたは我が仇敵隆信の子である。しかし乍ら、わしは今や、武家の統領たり得るそなたの器量を、認めておる。これはまこと、本心である。そこで、父として唯一点、申しておく。江上家は武家名門の家である。中国は後漢霊帝の末裔。大蔵氏から原田氏の流れを汲む。廃れさせてはならぬ。受け継ぐなら、芯から受け継げ。家種江上の人間になれ。そして江上の当主たれ、と。


大義とは何ぞや、これを考える時なのも知れない。家種は、目を開き、大きく深呼吸した。

たしかに俺は龍家の子である。養子に送られた江上家を乗っ取る。それも役目である。しかしながら思う。俺は江上の名跡を継ぐのである。一門の頭としてその名に恥じぬようにするのは筋目であって、それは、俺が龍造寺の次男である事とは、別儀。義父殿が身罷られて後は、いっそう、家中が俺を頼みにしている様に感じ取れた。さもありなん。而して戦とあらば、生きることより、死を覚悟した。城原の者はみんな強い。大将の俺が弱気では、何も勤まらぬのだ。ここはそういう家である。一度単騎で敵中に飛び込もうとした時は、執行に取り押さえられたものであった。演技ではない。これは、本物の覚悟である。

一五八四年、沖田畷にて殿が、討たれた。一門衆も軒並みに。まさかの、寝耳に水の事である。潰走の果てに帰城するも、周囲の状況は一変、不穏な空気となっている。島津が来襲するやら、大友の軍が動いたやら、某に謀反の気配ありやらと、我が家中も、全く落ち付かない。兄上は御家を束ねるには、凡庸すぎた。伯父殿たちと合議を重ねた結果、やはり、ここは信生に裁量を。となる。またか。俺は激昂し、強く反対した。なぜならば、殿に多年に渡り過剰な心労を強いて来た策士こそ、信生であろう。殿をあの様な形の死へ追いやったは、他ならぬ、信生だ。責めこそ負うべきものを、なぜここでまた家宰をあやつが執る。筋が違うであろう。俺は長信殿、信周殿をねめつけた。長信殿は、苦笑を見せて、こう言った。「殿は信生を恨んではおらぬぞ。そなたには分からぬか・・。お主の言うことも、殿はお分かりになられるであろう。しかしな、家種。お主の理屈を逆さにするようで悪いが、殿は生きながら、すでに死人であった。わかるか。この覚悟が。殿の器の大きさが。」
知るか。禅問答など俺には必要ない。俺は、武人である。義、有るのみ。弄策は要らんと言うておるのだ。

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【2012/05/18 01:06】 | 歴史のこと
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